5分間スピーチ

Posted by | 10月 04, 2013 | ブログ | No Comments

先日、某所でお話しました、5分間スピーチの内容を記載してみました。

お世話になります。私、山形県寒河江市に本社を構え 株式会社MUGENの名称で映像制作を営んでおります。増川佳祐と申します。
今回頂いた貴重な5分間の中で、私の事を一生懸命にお話させて頂ければと思いますので、少々のお時間の間、耳を傾けて頂ければ幸いです。
私は生まれも育ちも山形県寒河江市です。
父が居酒屋を営み、同じ建物で私も先月から7年目にして会社経営を始めました。一人っ子なので父の事業継承は当たり前と言われる中、
私は料理人の父を尻目に、包丁でさばくよりパソコンと向き合う方が向いてると思い込み、長い期間父親の店とは平行線でそれぞれで事業を行ってきました。
最近は私の事業も法人化を行い、父の店と会社を一つにするべく歩み寄ろうと努力している段階です。

私の仕事は映像の記録と映像制作です。
なぜこの仕事が好きになったのかと申しますと、結婚式で新郎新婦が入場する時のプロフィールビデオや、余興VTR、最後に流れるエンドロールを作る機会をいただき、自分の作った映像を観て、新郎新婦や親御さん、来賓の方が大笑いしたり、涙ちょちょぎれんばかりに流す姿を見てすごく自分の仕事にやりがいを感じたからです。
今はこれを社員に感じさせる機会を設けて、働きがいのある職場を作りたいと強く感じています。

今回、一生懸命自分のことを一点に絞ってお伝えしたいと考えるなら「地域貢献」です。
私は、地元に生かされて生活していると強く感じています。
といいますのも、私は一時期家庭環境がすさんでいた時期があり、高校の時父はガンで余命半年と言われ、大好きな映像系の専門学校に進学できず地元に就職し、二十歳で両親が離婚、その二年後に父親の店が火事で全焼し、今振り返れば希望を失うタイミングがたくさんありました。父親の像は逞しい後ろ姿よりは、職業柄アルコール中毒で体が脆弱で、火災の時は燃える店舗を見て嗚咽する父の姿を間近で見てしまうと、当時22歳の私には先行きが暗くてどうしようもありませんでした。
そんな中でも、ただ心の支えになってくれたのが地元でお世話になった先輩や近所の方々で、毎晩お見舞いに来てくれる姿にただ私は感謝の二文字でした。
そこから、父と私、いつの間にか帰って来た母と三人が力を合わせお店を再開して現在にいたるのですが、その時から考えるようになり始めたのが、頂いた恩を自分から何らかの形で恩返しができないか。大義名分の点はありますが、消防団や青年会議所、商工会青年部に入会し、こつこつと社会貢献のお手伝いをしています。
一番私にとって大きな貢献は毎年行われるふるさとCM大賞です。ふるさとをテレビCMを通じてPRするコンテストですが、寒河江市商工会青年部の部員として撮影と編集を担当させて頂き、一昨年大賞を受賞し山形県内年365回放送、去年は特別賞を授かり、今年も大賞を取るべく、昨日から収録が始まっています。
映像を通した地域貢献はこれが最大限なので、今度は今、初音ミクで有名な音声合成ソフトを使い、地元の歌を若い人たちに発信する企画も進めています。映像を通して、人が人へこころを伝えるお手伝いができればと熱く行動しています。

最後に、最も気になる「なぜ私が宮城にいるのか。」
二点ほど理由があり、ひとつは震災後に石巻に週三回のペースでボランティアで足を運び、宮城県にものすごく愛着を持つようになったからです。私はいろんな人の反対もあって、最終的に震災後二週間経ってからボランティアを始めたのですが、毎回来る度に信号が灯り、一店一店お店が再開していく度に食べに行き、従業員と良かったね。と話すと、段々自分の中で宮城県に愛着を持つようになりました。

ボランティアの視点でお願いを申し上げると、行く先々で皆様から感謝やお礼の温かい言葉を頂くのですが、私は人に感謝をされたくてボランティアをしているわけではありません。
誰かが困っていたら手をさしのべる。助けられたら、他に困っている人を助けてあげる。そんな世の中であってほしいと願いながら行動してまいりました。

あともう一点は、私の先輩から「外貨を稼ぐ仕事をしなさい。」と昔、言われました。さらに加えると、外で稼いだお金を地元に落として貢献しなさい。と捉えており、東北最大である杜の都に新しいビジネスを開拓するべく足を運んでいます。
そして今、私の会社に数年ぶりに社員を一名雇用しています。
人を育てると言うにはまだほど遠いのですが、会社の最大の地域貢献は雇用と人材育成と考えています。

若輩者ではございますが長い目でご面倒頂ければ幸いです。これから、ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします

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